のんびりりんちゃんリハビリ日記

娘、りんは両下肢麻痺があり上手に歩けませんが、本人なりにのんびり発達しています。

最終登園日&退職

保育園登園日のルーティン。


朝6時にりんをたたき起こして大急ぎで支度。
何百回、禁句と言われている「早くしなさい」と言ったことやら・・。
りんを急かして7時に登園。出勤。
そして夜6時半にお迎え。
まだ友達と遊び足りないようで園の前で走り回るりんを止めて、
また「早く帰るよ!」と大急ぎで家に帰って夕飯の準備。
食べてお風呂に入ると、あっという間に寝る時間になって「もう寝なさい!明日早いよ!」と寝かせる日々の繰り返し。


よく考えたら、りんと一緒に楽しく家で過ごした時間って保育園生活に比べたらかなり少ないと思います。
可哀想なことをしたのか・・?全く思わない訳ではないけれど、それでもりんが楽しく通ってくれていたから私はそれで良かったのだと思っています。


そんな保育園生活もおしまい。


保育園最後の日は私も退職の日でした。
色々落ち着いたらパートとして戻るかもしれませんが、とりあえずのお別れ。
職場の方々も優しかったです。
バタバタしながらもめげずにフルタイムで続けられたのも、周りの人達の暖かさがあったから。もしりんが体調不良で休みがちだった時に嫌味を言われたりするような環境だったら、とっくに心折れていたと思います。本当に感謝です。


物心ついた時から保育園にいるのが当たり前だったりん。
最後の日の帰り、ちゃんと友達や先生に挨拶するんだよ、と言い聞かせましたが、照れているのかよく解っていないのか、いつものようにあっさりと「バイバイ」していただけでした。


そして、0歳児クラスの頃からずっと保育園にいた1人の先生からの手紙が壁に貼られていました。担任になったのは1歳児クラスの時だけでしたが、とても良い先生で、クラス全員、一人ひとりの子の成長の喜びを書いてくれて、本当によく見てくれていたのだとありがたく感じました。


『りんちゃんが辛い検査を何度もして、点滴の痕を濃く残して登園していた時はとても辛かったです。』
私ですら忘れかけていたことまで書いてくれていて涙がとまりませんでした。


そして最後に先生から保護者へお願いのメッセージ。(要約)
『お子さんが辛い時、悲しい時は、そっとそばにいてあげてください。
そばにいるだけで子供達は安心し、また一歩前へ進むことができると思います。
新学期の荷物の中で、一つでもいいからお家の方が直筆で名前を書いてあげてください。
子供達が新生活で不安になった時、お家の方が書いた自分の名前が目に入ると、不思議なことに安心するものです。「頑張れ大丈夫だよ」の意味も込めてお願いします。』


わかりました!!!!(感涙)


前日、名前シールをネットで注文した私はパンチをくらいましたが・・・。
よく目につくものだけでも手書きで書こうと思います。


仕事を辞めるのは勇気がいることでしたが、この新生活でりんが6年間生きてきた環境から、がらりと変わることになります。
最初は友達も出来ず寂しい思いをしてしまうかもしれません。
そういう時こそりんのそばにいるのは間違っていない、寄り添って力になってあげよう!
先生からの手紙を読んで固く決心出来ました。


またりんが楽しく学校に行くようになった頃、仕事は短時間でも再開しようと思います。


あんなにあっさりと友達とバイバイしたりんですが、次の日には
「今度友達と会ったら思いっきり遊びたいなー」
と、早くも友達に会いたがっていました。
もうしばらくは友達に会えなくなる、保育園で遊べなくなるという喪失感は、体験してから解っていくのでしょうか。



正直、新生活、母としては不安でいっぱいです。
コロナの事もあるし、夏に引っ越してからも保育園と家の往復でご近所付き合いは無いし、わからないことだらけです。支援級っていうのも、自分が体験してきたものとは違う学校生活なので、余計に想像がつきません・・。本当に友達出来るかなあ。。登校班の新一年生は、りん以外全員男の子だったしなー。


まあ、私は色々うじうじ考えて、結局は「まあなんとかなるさー」と面倒になってしまうタイプなんですが。

無事卒園式を終える事が出来ました

こんにちは。コロナ騒動で大変な中、うちの保育園は年長さん13人の少人数ということもあり、幸い中止になることはなく、
卒園児+保護者2名まで+先生方のみの縮小モードで卒園式を行うことになりました。


先生から事前に頼まれていたのは
「一人ずつ、子供から親へ、親から子供にお手紙を読むので考えてきてください。」
との事。
少人数制だからこそ出来ることですね・・。
しかしこれは・・黙って感動に浸っていたかったのに中々の試練ですよ・・?
泣いてえずいて手紙読めないんじゃないか?
自分の文章に自分で泣くって恥ずかしくないか?
子供には「人前に出る時は堂々としていた方が恥ずかしくないよ」とか言ってたくせに。。


ということで、卒園式数日前から泣かないようにメンタルトレーニングをしていた私。(笑)
手紙の内容をありきたりにして、あまり感情的な文にしないこと。
読む練習をして内容に飽きて気持ちが入らないようにすること。
「りんは他の子に比べて出来ることが少ないなー」と、マイナス思考になること。(←ひでえ)



私:「なんだか、一周回って全然泣ける気がしなくなってきた。」


と、卒園式当日は余裕を持って式にのぞみました。


が。


式が始まると、教室は暗くなり、
りん達が0歳児クラスからの思い出写真のスライドショーが、
良い音楽と共に流れるではありませんか!!


みんな・・・みんな・・・大きくなったねえ・・・・。
いや・・!泣くな泣くな!こんな初っ端から泣いちゃいかん!!
と、必死で涙をこらえました。


スライドショーが終わり、教室が明るくなると、


私の視界にいる限りの全員が、ハンカチを持って泣いていました。


そして、卒園児入場。
一人ひとり、おにいさんおねえさんになった姿で礼をしながら席に着きます。


りんも、普段は小走りしかできないのに、頑張ってゆっくり、1人で歩いて席についてくれました。


それから園長先生のお話。そして子供達からのお手紙、親からのお手紙を一人一人読みます。


私のメンタルトレーニングってなんだったのやら。。完全に涙腺崩壊です。
他の親の手紙を聞くたびに感動し、涙が止まりません。


私は最後に読みました。
もう涙で声がふるえてどうしようかと思いましたが、
ちょっと練習した甲斐もあり、なんとか読み切ることが出来ました。
これだけ号泣していても、緊張感があるとさすがにえずいて読めないということはないんですね。


そして最後に卒園児の歌。
もうこの歌もね・・ちょっと歌詞をオリジナルにしていて泣けるんですよー・・。


先生への感謝。友達への感謝。親への感謝。


「♪お礼代わりにこの歌を」


泣きながら歌っている子もいました。
りんも、あまり感動する子じゃないのですが、一粒の涙を流しながら歌っていました。


じいじばあばや義姉に歌の動画を送ると、皆泣いてしまったそうです。


13人全員、仲の良いクラスでした。
卒園したら離れ離れになります。
りんと一緒の小学校に行く子は他に1人だけなので、同じクラスになれるかは解りません。


身体に障がいがあっても、りんが笑顔で保育園に通ってくれたから、私は何も後ろめたさもなく、心配することもなく仕事を続けることが出来ました。
りんが笑顔で通えたのは、優しい友達がいたからこそだと思います。
6年間、本当にありがとう。
卒園しても時々会う機会があればと思っています。


ついに原因判明!

こんにちは。もはや誰も見ていないだろう放置ブログですが、私は元気です!!


もうすぐ、長かった保育園生活もおしまい。りんも小学生ですね。
大感動した卒園式の事も書きたいのですが、それは後日アップします。(ほんとか?)


4月からの生活ですが、今の仕事を辞めて、少し休んだら、旦那の扶養に入ってパートタイムで働こうと思っています。
と、いうもの、結局小学校が近かろうが朝集団登校だろうが、肢体不自由支援級に入るりんに親が付かないというのは、班長さんが嫌だろう。。単純に心配だし。。
そうなると、今の会社じゃ出社時間に間に合わないし、もう一層思い切って辞めて、
数年はりんとの時間を増やしてみるのも良いのではないかと思いまして。。
最初が肝心だから、ちゃんとお勉強する習慣も身に付けさせたいしね。
小3位までは送り迎えしようと思います。(りんが嫌がらない限り)



そしてそして本題。重大な事が解りました。


すっかり私も忘れていたのですが、


去年の6月に遺伝子検査を受けていたんです。



気が遠くなるような話を聞かされ、どうせこれでも原因なんて解らないだろうと思っていました。


でも、まさかのまさか。


先日、こども医療センターから電話が掛かってきて、


「以前の遺伝子検査で、りんちゃんと同じような症状がある例が見つかりました」


と報告が・・・!!!


ええええ!?あったんですか?


ずっと「脳性麻痺の疑い」で疑いのままはっきりとした原因が解らないままのりんの足の麻痺。。
ついに原因が分かったんですよ!!


りんの足の原因は、
遺伝性痙性対麻痺で確定しました。


長かったな・・。原因が解るまで5年。。
てか、もっと早いうちに遺伝子検査してくれてもよかったと思うが・・。


電話があった日の数日後、旦那、じいじばあばも連れて、結果を聞きに行きました。


私と旦那の遺伝子には特に異常がないのですが、りんがお腹の中で遺伝子が作られている時に何らかのエラーが起きてしまった。
そのエラーが起きた遺伝子番号が一致した子がりんの他に世界に3人いるそうです。
その3人の子はいずれもメビウス症候群、歩ける程ではあるが下肢の尖足や低緊張を患っているそう。りんは表情豊かな方なのでメビウス症候群ではないですが、下肢の障害はここから来たのでまず間違いないだろうとの事でした。


パパ:「すげー・・。世界で4人目か・・。」


いやいや、そこ感心する所じゃないでしょうが・・。


下肢の障害も、進行していく例はまだ無いので、りんの足も今までの経過を見てもこれ以上悪くなることは無いでしょうとの事。(二次障害はまた別です)


心配なのは、そのりんが赤ちゃんを産む時、50%の確率でまた遺伝子障がいのある子供が出来るということ。
今は出生前診断などで解るそうですが、どうするかは大人になったりんや旦那さんに任せるとしても、その前にきっと悩ませてしまうだろうな。。
デリケートな問題です。私も何が正解なのかわかりません。少し胸が痛みました。


まあ、原因も解ってすっきりしたし、だからといって治療法も特にないので今まで通り、装具を履くなり、ストレッチ等を続けていくしかないみたいですね。


2か月前の話ですが、保育園最後の生活発表会では、ナレーターの役を上手にこなしていました。
数年前の生活発表会で年長さんの劇を見ていた時「りんも年長さんになったらナレーター役が良いんじゃないかな・・。でもあんなにしゃべれるのかな?」と思っていたのですが、台本なしで頑張っていましたよー。
いつの間にか出来るようになっているんですね。
顔色が悪かったので、ちょっと緊張しているのかな?と思っていたのですが、終わった後、家に帰ると39度の熱が出ていました・・。本当に具合が悪かったのか・・。
幸い、熱はすぐに下がり、インフルでもなんでもなかったので知恵熱だったのかもしれません。